専業主夫、ポン吉の徒然なるままに

20年近く主夫をしてきたポン吉の備忘録のようなブログ。

ビーチコーミングと仮想通貨

立春の日は天気が良かったので、奥さんと海岸を散歩した。

ビーチコーミング

海岸を散歩する目的の一つに、自宅の観葉植物の支柱として流木を探すというのがあった。

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適当な流木が1本あれば持ち帰ろうと思っていた。

海岸を歩き始めてすぐに、支柱によさそうな長さと太さの流木があったので、とりあえず1本確保した。もしもっといいものがあれば、今確保したものは捨てて新たな1本を持って帰るつもりだった。

そのことを奥さんに伝えようと奥さんのほうを見てみると、奥さんは赤ん坊を抱っこするように流木を抱えていた。

その流木はどう考えても、植木鉢に刺して支柱にするには太すぎた。

ポン吉が奥さんに支柱には不適だと言うと、奥さんは支柱ではなくて玄関に飾るのだと言っていた。

奥さんが重たそうに抱えて海岸を歩いていたので、

ポン吉が「後でここに戻ってくるから、その大きな流木はひとまずその辺に置いておいておけば」と言うと、

奥さんは「そんなことしてたら、誰かに持って行かれる」と言って、手放そうとはしなかった。さっきまで海岸に転がっていたただの流木なのに今ではずいぶん大切なもののようにしていた。

それどころか、ポン吉が1本目に見つけた流木より支柱に向いてるものを見つけたので、それを手に取って最初に見つけた流木を捨てようとしたら、奥さんは両方持って帰ろうと言い出した。

通貨の始まり

奥さんが言うには、流木は都心ではインテリアとして売られているらしい。

ポン吉たちが海岸から上がって駐車場のほうに歩いていると、他の車から出てきた若い男女がポン吉たちとすれ違いざまに、「あの流木、すごくいいよね」とポン吉たちの持っている流木を見ていた。

ポン吉にとってはただの支柱に過ぎない棒切れが、他の人からすればもっと価値のあるようなものに感じているようだった。

ポン吉は、はじめて人類が通貨を手にした瞬間を垣間見た気がした。

そう言えば、太古の人々は貝に価値を見出し通貨としていたという話を聞いたことがある。

元々は特別な価値がないにもかかわらず、十人、百人、千人とそこに価値を見出す人が増えてくるとただの貝でもついには通貨になってしまう。

ポン吉と奥さんが海岸で拾った棒切れも、もっと多くの人が価値を見出せば通貨のようにやり取りされるのかもしれない。

現代の社会では数字を書いた紙切れが通貨として利用されている。

ただし大半の人にとってはその紙切れに書かれた数字が大切なのであって、紙切れ自体に価値を感じているのではないのだから、太古の人々の貝や、ポン吉が拾った棒切れのほうが魅力的に感じてしまう。

もっとも最近よく耳にする仮想通貨に至っては、手に取って見ることもできないのだから紙切れのほうが美術的価値を感じられるだけまだましな気もする。

ただ、太古の人が通貨として利用していた貝も、ビーチコーミングで見つけた流木も、日本銀行が発行する紙幣も、最近流行りの仮想通貨も、結局は「いいね」と思う人がたくさんいるかどうかだけの違いなのかもしれない。

とは言うものの専業主夫として一番欲しいのは日銀発行の紙切れだけど。